2014年03月14日

「正しく」生きる人と「正直に」生きる人と






 親しい女性が、妻子ある男性と恋に落ちた。自身にも夫と子供とがいるので、いわゆるダブル不倫と世間で呼ばれる関係だ。




お互い家庭があると承知の上での恋愛を、時に愉しみ、時に苦しんでいる彼女を、私は個人的にずっと応援してきた。家族を大切にしながら他の異性に思いを焦がす心に悩みつつ、そんな異性が自分にいることに、等身大のプライドを彼女が抱いていることを、長い交友から私は感じているからだ。





ところが、別の友人にこのことを告白しても、どうも反応がよろしくないらしい。恋心の素晴らしさと甘酸っぱさを吐露しても、「だってそれってセフレでしょ?」と言われ、しょんぼりくるのだという。





結婚したうえで、別の異性に心を奪われたり、実際に恋愛関係に発展することは大いにありうることだし、そんな自分に人生の喜びを見いだすことは、人としてとても素晴らしいことだ。しかし、そんな自分の喜びを、別の友達や他人に分かってもらうのは、いささか無理があるのではないか。無理というのが言い過ぎなら、多くを期待しても限界がある、くらいは言っていいと思う。




私たち人間は、1人では生きていくことさえできない弱い生き物で、知性が他の生物に比べて一応すこぶる高いから、家族だとか学校だとか、会社とか国家とかいう「社会」を作って生活している。そして、どんなに小さくてもあらゆる社会には「ルール」というものがある。





男と女が結ばれて、小さな社会を作っていくことを「結婚」の定義だとしよう。そうだとして、今日の私たちは、いちいち説明するまでもなく一夫一婦制度というのを基本的な「ルール」にして何とかかんとか暮らしている。そして、私たち日本人はとりわけ真面目というか、ルールを守るのが好きだから、1度結婚をしてしまうと、他人の浮気だとか不倫と呼ばれる“ルール違反”に、とかく手厳しいところがある。




私自身は、一夫一婦制度というものに1ミリだって「真理」が含まれているとは思っていない。しかしながら、一夫一婦制度を採用している日本という国家で結婚をし、扶養者控除だとか児童手当といった社会保障制度を享受しているわけだから、自分の価値観が一般的に正しいなどとは決して思っていない。圧倒的多数の男女が、一夫一婦制度というルールを、(仮に表面的だとしても)守りながら「正しく」暮らしているというのに、のんきに(本当はのんきじゃないですよね。結婚していても独身だとしても、恋愛というのは人に等しく喜びと苦しみを与える一面がある)恋愛を謳歌している風に見えたとしたら、そりゃ他人は面白くないだろう。






先に紹介した彼女も、恋愛のすばらしさにばかり目がいき、それから女の心理として、秘密を(仲の良い同性の友人ならなおさら)共有したいという気持ちから、思い切って告白したというのに「だってそれってセフレでしょ?」などと断定されては、死ぬほど好きな恋人のことを、バカにされた気がしただろうし、自分のことを色狂いだと断定されたみたいで、やりきれなかったのではないか。






だけど、である。ここで敢えて挑発的な書き方をするが、ごくごく普通の健全な肉体と精神をもった男と女がいて、仕事もして他の付き合いもこなした上で、お互い時間をなんとか見つけて恋愛を持続し、忙しい中2人っきりの時間を紡いだら、まずはセックス優先にしたとして何が悪いというのだろう。10代や20代と異なり、大人のセックスは愛し合う一組の男女にだけ許された、最高のコミュニケーションだ。お互いのマスターベーションを手伝って(?)、「あー、気持ちよかった?」などという次元の話ではない。




若いころの、自分のことを考えるので精一杯な時期にセックスをして、「セックスってこういうもの」と思って恋愛して結婚。その後、性の本当の悦びや、素晴らしさを知ることなく歳を重ねている大人というのが、驚くほど多い。そんな彼らと、配偶者以外とのセックスについて語り合っても平行線をたどればまだ良いほうで、恋人のことをセックスフレンドだと揶揄されたとして、そこに反論するだけ不毛だと思う。だって相手は経験したことが無いのだもの。




性の秘め事と、それから人としての真の悦びを知る者として、文字通り身も心も裸になってセックスで一体化になれるパートナーがいるというのは、それが配偶者であっても、仮にそういう制度上の保証がない相手だとしても、何ものにも代えがたい財産だ。もしあなたに配偶者以外のパートナーがいるのなら、そんな生き方は社会のルールを守ってくれる、圧倒的多数の「正しい」人のものではない。また、自慢するようなものでもない。恋愛というのは、自分にとっては世界に存在するどんな物質より光り輝くかけがいの無いものだというのは一面で真理だけれど、それが他人にとっては見るに堪えない醜態ということだってあり得るのだから、間違っても「自分こそが正しい」などと勘違いしないこと。やましくないからといって、わざわざ公にしなくてもいいことというのが、この世には存外ある。




決められたルールをなんとか工夫して守ろうとする「正しい」人に、迷惑をかけないように努力をしながら、静かな矜持にも似た恋心を燃やしつつ、自分の気持ちに「正直」に生きる人というのがいる。そうしたマイノリティがいるのを私は知っているし、いつまでも見て見ぬふりをしつつ、そっと応援したいと思う。




posted by 松本誠二 at 19:23| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月15日

お母さんじゃない!

先日、居酒屋で気の置けない友人とビールを飲みながら、ふとしたきっかけで配偶者をどう呼んでいるかという話題になった。



名前で呼び合うという人もいるし、「おーい」とか「ちょっと」という、さすがにそれはどうなの?という呼び方も意外に多かった。意外といえば、「お父さん」「お母さん」とパートナーを呼ぶ夫婦が多かったのが、個人的には印象に残っている。


子供が生まれた後に、パートナーを「お父さん」とか「お母さん」と呼ぶのは、日本だけの習慣だけなのではないかしらん。外国人が直訳を聞いたらびっくりするはずである。

私自身は、妻のことを結婚する前から名前で呼んでいて、結婚生活がはじまって子供を授かってからも、決して「お母さん」とは呼ばないよう気をつけてきた。「私の妻は私のお母さんじゃない」という、元も子もない理由もあるが、それ以前に一人前の大人の女に対して、「お母さん」と呼ぶのはある意味無礼だと感じているという思いもある。


それからもう1つ、妻のことを「お母さん」と呼ぶのは、当事者がどの程度自覚しているかは別として「あなたはもう、女ではなくて子持ちの母としてとらえますからね」という、ある種の宣言に他ならないのだが、言われた方も「そうか。私はもう無理して女でいる努力をしなくていいんだ」という気持ちになりかねない。


何事も程度問題というのがあるけれど、結婚して夫婦になっても、男と女としてそれ相当の緊張感みたいなものは必要なのではないだろうか。子供にとっては大切な「お父さん」「お母さん」であったとしても、それ以前に一組の男女として魅力的であろうと意識したり努力をするのは、長い結婚生活を続けていく上で見逃したく無い視線だ。



ただ、ここまで書いておいて反対のことを言うように聞こえるかもしれないけれど、私たちが暮らす日本という国は、ほんの少し前まで結婚というシステムを「恋愛」の延長に置いてこなかったので、パートナーのことを「お父さん」「お母さん」と呼び合うことに、どこかホッとする安心感のようなものもあるだろう。関西では、男性が妻のことを「嫁」と呼ぶのが一般的で、テレビのお笑い番組の普及をきっかけに全国的に広がりつつある。この「嫁」という呼称に関西以外の人がある種の違和感を抱くのはとても健全な語感なのだけれど、しかし関西で「嫁はん」という場合、これは「my dear」とほとんど同義だったりするからおもしろい。



アングロサクソンの人たちが暮らす欧米では、これは嫌味とか悪口ではなく、いつ相手が他の異性に気持ちを持っていったり、取られてしまうといった危機感の上に恋愛をして、その延長に結婚というシステムを構築してきたので、例え子供が生まれようがパートナーという身近な異性を、異性として常に意識する必要があるのかもしれない。それに比べて日本では、呆れるほどのんきに配偶者のことを手放しで信頼しているので、良かれ悪しかれセクシャル面での切磋琢磨がカットされる傾向にある。




先にも記したとおり、私自身は、結婚したあともパートナーから「素敵な人」だなと思われるよう、お互い多少なりとも努力はしたほうがいいと思うし、そのためにもパートナーのことを「お父さん」「お母さん」と呼び合わないほうが良いと考える。だが、「異性と意識するストレス」をカットして、家族という共同体を守っていこうという合意が2人の間で取りまとまるのは悪いことではないのかもしれないし「うちのお父ちゃんは」「おーい、お母さん〜」と呼び合える家庭は、結構見ていて悪い気がしない。おそらく当事者たちも良い気持ちなのだろう。お母さんとセックスするわけにはいかないだろうが(笑)、そういうところも含めて、合意は合意だからだ。




問題なのは、どちらか片一方が、人として、1人の男や女として、いつまでも素敵で可愛くいようと努力しているのに、相手が「家族」としてそれを認めてくれなかったり、気付いてもくれない時なのではないだろうか。いろいろ取材を重ねていくと、パートナーのために尽くしたり、歳を重ねても魅力的でいようと努力しているにもかかわらず、認められるどころか、理解もされずに絶望しているのは、男よりも女の場合が圧倒的に多い。こうした“無関心”に打ちひしがれている女たちが、理解のある他の男に身も心も救いを求めるのを、「不倫」の一言で断罪するという風土は、少なくとも経済的にも精神的にも平等が叫ばれる現代において、私はナンセンスなのではないかとずっと思っている。
posted by 松本誠二 at 13:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

あなたなしでは生きていけない

パートナーの異性に「依存」する限り、恋はもちろん結婚生活は遅かれ早かれ破綻するしかない。




先日も、夫とうまくいっていないという女性から相談を受けた。一緒に暮らしているというのに、普段の会話1つとってもほとんどなく、ちょっと話をしようとしてもすぐ「キレ」る。子供の世話は一切しないくせに、子育ての責任はすべて彼女に丸投げで、何かあると自分のせいにされるのだとか。今すぐ別れたほうが良いと思うのだが、それだけはできないと彼女は言う。「またどうして?」と尋ねると「女1人で子供と暮らしていくのは無理だから」だそうだ・・・。




なんともやりきれない話だ。男女雇用機会均等や、職業選択の自由が(一応)あるはずの日本で、「男と自由に別れる権利」さえない女の実態って何なんだろう?恋愛の話とはいささか離れるかもしれないけれど、男も女も経済的に自立するための、知識だとか教育が今ほど必要な時代もないのではないか。景気がここまで悪いと、いわゆる専業主婦に憧れる女性も多いと思うけれど、夫の収入に生活のすべてを預けてしまうという生き方が、女の精神の自由をどれほど奪うリスクがあるのか、ゾッとするほど理解していない女性というのが少なくない。





くだんの女性を責めるのは簡単な話で、実際どうして夫と別れても生きていけるような仕事を今までして来なかったのだろうかとか、また、生活保護も含めて、下手なプライドや先入観を捨てることができれば、この国には十分ではないかもしれないけれど、それなりに暮らしていける術があると諭すこともできるかもしれない。それでも、「今」精神的に行き詰まっている1人の弱った女に、理屈でばかりアドバイスするほど、私は残酷にもなれないと思った。苦しいとは思うけど、今までのことは置いておいても、これからどうなりたいのかというのを深呼吸しながら考え、1つ1つ行動に移していくしかないのかもしれない。





結婚生活と恋愛とは厳密にいえばイコールではないが、経済的にも精神的にも、対等で自立した立場にあるというのは、男と女の関係で基本中の基本だろう。「女は男に従っておけばいい」という時代では無いのは言うまでもないけれど、「男ってほんとバカよね」と上から見下したような態度をとるのもどうだろう。経済的にも精神的にも、最低限、1人で生きていけるくらいの力が無い限り、本当に意味での「恋」はできない。心にも身体にもある程度の余裕がなければ、人は優しくなれないし、広い意味で優しくなれない恋は、どこまでいっても独りよがりでしかない。私は常日頃から「30、40代になってからの恋のほうが、純粋で美しい」と主張しているのもここに関係していて、現実問題として自分のことに一所懸命な10代や20代の恋というのは、もちろんそれはそれで甘酸っぱかったり無垢だったりという素晴らしさがあったとしても、心が自立した「大人の恋」には太刀打ちできない気がする。





おもしろいなと思うのは、そうした「大人の恋」を実践している友人や先輩を見ていると、まず間違いなく、パートナーに対する尊敬や信頼の念が異常なほど強いという点だ。尊敬だとか信頼というと、例えばビジネスのシーンでも確かに存在するのだけれど、愛情が深いカップルのそれは、ほとんど「あなたなしでは生きていけない」という、どこか降伏宣言にも似た絶対的な気持ちの表明みたいなものを感じずにはおられない。




それって「依存」じゃないの?




そうでは無いだろう。肉体的にも精神的にも、もちろん経済的にもある程度の自立と熟成を経て、それでも愛しい異性にたいする強烈な尊敬の気持ちや「一緒になりたい」というパッションを維持できる人たちと、反対にいつまで経っても大人になれず、そのくせ一人前に権利や要望しか異性に主張できない人たちの間には、谷より深い溝があると言わざるを得ない。相手に対する自堕落な依存を越えて、人として自立してなお「あなたなしでは生きていけない」=I can't live without Youと言い合える男と女は美しい。私はそういう男でありたい。



posted by 松本誠二 at 17:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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